♪マイヤヒー、マイヤフー、マイヤホー、マイヤハッハー♪ に合わせて踊るチキンリトルがあまりに可愛くて、ちょっと高かった(私の感覚では)けど思わずディズニーの公式フィギュアを買ってしまった。

陶器でできてるみたい。

でも、動いてるアニメの方がずーっとかわいい。12月23日、封切りの日に早速観に行きたい。


台湾でも映画館に大きな看板がかかっていた。

四眼天?…?のところは鶏と雛を組み合わせたような文字だけど、フォントがなくて出せませ~ん。


chicken littleチキンリトル


もうない、と思っていた高校のクラス会が7日にあった。

急きょ決まったことで、連絡があったのは10日ほど前だったが、幹事さんが頑張って連絡してくれたお陰で44名中22名の参加となった。


私達のグループにも一人音信不通の子がいたけど、その人も来てくれていてうれしかった。

面白いもので、昔のあだ名で呼び合ったりして、わあわあしゃべくりまくっているうちに、うん十年の溝はすぐに埋まってしまった。


変貌がすさまじく、まるで別人になってしまった!なんて人は一人もいなかった。

それぞれ、「人生いろいろ」あっただろうけど、今回出席していた人たちは、とりあえず「幸せ」なのかもしれない。

トラブルの真っ最中だったら、クラス会どころではないだろうから。


20代で結婚し、子供を産み育て、一番上の子供がもう一人前…、という「普通」の人生を送っている人がほとんどで、未婚者2名以外に結婚して子供がいないのは私だけだった。

やっぱり、フツーじゃなかったかなぁ、なんて改めて考えてしまった。


出生率の低下が社会問題にまでなっている昨今、以外にも3人の子持ちが多く、中には4人!という人もいて驚いた。みんながんばったんだなあ。偉いねぇ。


あっという間に5時間が経過しお開きになったが、お陰でまた仲の良かった友達とのお付き合いも再開しそうで、この先が楽しみになった。


今回来られなくて残念がっていた人も何人かいるようだったのでまた来年もやるんだろけど、次回は今回ほどの盛り上がり方はしないだろうな、きっと。

昨日は久々に神田の「みますや」という渋~い居酒屋に行ってきた。


創業明治何年とかの古い店で、レトロな雰囲気がなんともよいのだ。

さすがに建物は震災やら空襲やらがあったから、そのまま持ちこたえているわけはないだろうけど、戦後建てられてそのままかもしれない。


ちょっと奮発して特上馬刺し2,000円を頼んでみたけど、にしんの棒煮600円とか自家製ワインらっきょ500円の方が格段においしかった。おんまちゃん、ごめんね!もう食べません。

自家製〆鯖600円は、この時期塩がちょっときつかったな。焼き鳥500円はまあまあでした。

肉じゃが400円は私の方がおいしいよ。


それと、どぜうの丸煮600円(?)。私の人差し指大の丸々太ったドジョウちゃんが5~6匹、甘めに煮えてました。なつかしい味だったけど、もう少しちっちゃい方が食べやすいかも。骨がゴリゴリしてて食べズラかったです。


ここは日本酒も焼酎も結構揃えてあって、選べるところがうれしい。

生中を飲んだ後、亭主は「神亀」好きなので、これを冷で2合、その後「黒牛」と「手取川」を1合ずつ。


そこそこ気持ちよくなったところで、フォーク居酒屋へ流れる。

ラジオで聞いて、一度行ってみようと思ってたフォーク酒場。

ステージがあって、ギターやドラム、キーボードなんかが置いてあって、お客さんが入れ替わり立ち代り勝手に楽しめちゃうっていう楽しいとこ。


昨日はたまたまフォークじゃなくてポップスイベントデーだった。

亭主はフォーク世代からはちょっとはずれてるんで、ちょうど良かったし、大好きなビートルズで飛び入りまでしちゃってラッキーだったのだ。


始めてで、飛込みだったのにずうずうしくも一番前の席に陣取っちゃうし、飛び入りまでしちゃうしで、常連さんに混ぜてもらって楽しい時間を共有できてうれしかった。


あたしもカーペンターズあたり歌いたいなぁ、なんて。

今度は平日行こうっと。

私の心が今よりもっと硬くて凸凹だったとき、


凸で容赦なく相手を攻撃して傷つけた。


凹には相手の攻撃が容赦なく加えられた。


凸は恐怖や怒りや高慢や偏見や優越感などでできた槍のようなもので、相手の凹をめがけて飛ばしてしまったのだ。


凹には劣等感や罪悪感なんかが滓のように溜まっていて、相手の凸槍攻撃を避けることはできなかった。。


凸凹がなければ、傷つけることも傷つくこともないのになぁ…


武器は完全放棄して、万が一間違って攻撃されても、ボヨヨ~ンと跳ね返す…じゃまだまだ硬い訳でぇ…

シュルル~って吸収しちゃう、ふわふわした心が欲しいなぁ… もちろんまあるくて。


永世中立人間ってどうかな。


今、まあるくなるように、一生懸命磨きをかけているところ。


思っていれば、いつかはきっとそうなれるのよ。


だいぶ いい感じ。ふふふ…


ってなことを考えつつ…  明日は特訓の日だゼイ!

身体が硬けりゃ心も硬~い

心が硬けりゃ身体も硬~い


こういう状態はヒジョーに辛い。


そして、  『表裏一体、逆もまた真なり』  → これは私の座右の銘


なのだから、


心が柔らかけりゃぁ身体も柔らか~い

身体が柔らかけりゃぁ心も柔らか~い


こっちでゆきましょ、こっちで。

この方が断然楽だもの。


でも…  どーしたらいいのでしょうかっ!


とりあえず、


「~でなければならない」

「~すべきである」


って考え方をやめてみましょう。

この文字を見ただけで筋肉が硬直する感じ。


実は、「そうでなければならない」ことも「そうあるべき」であることもない!のだわ。


私も以前はこの「考え方の癖」にガンジガラメにされていた。

「呪縛」って感じですかね。


不真面目がいいという訳ではなく、普通でいいのだ。


生真面目はくたびれる。


ためしに、天才バカボンのパパ風に

「これでいいのだっ!」

って言ってみましょう。


肩の力が抜けるでしょう。


単純だけど、簡単だけど、そういうものなのですよねぇ。


ふ・し・ぎ…

日曜の朝、全身のこわばりを感じ、ロボットにでもなったような心持ちのまま、どうにかこうにか起き出した。

あちゃー、前日山歩きをしたのに、疲れすぎてお風呂に入らずシャワーで済ませてしまったのがいけなかったのか。やっぱ、お湯に浸かって揉みほぐしておくべきだった。


ところが、身体を動かし始めると思ったほど筋肉痛が残っていない。ラッキー^^v

多少ふくらはぎの張りと、お尻の筋肉の痛みがあるくらい。

腿は太極拳で鍛えてるもんねぇ~。

旦那は腿の付け根から膝に向かって外側の筋肉がかなり痛いらしい。むふふ…


翌日…

『靴』が悪かったらしい、と旦那が会社の人に聞いてきた。


その日履いていったのはハイカットではない「ハイキング用」くらいの柔らかい靴で、特に下山の時につま先が靴の中で遊んでしまい脚に余計な力が入ってしまったらしい。

私の靴も旦那のとあまり変わらず、下山の時には足の指が痛くてたまらなかった。


確かに一緒に行った人たちも、電車の中のベテランおじさんおばさんたちも、ごっつい靴を履いていた。

底もつま先部分も固く、足首とか甲の方をがっちりホールドするような靴が楽らしい。

でもあれって、山に着くまでは歩きにくいのよねぇ。

でも、山歩きメインのときは仕方ないわなぁ。

25日(土)、朝4時半起床。梅雨真っ只中だというのに、朝から快晴。

暑さを覚悟して手作りおにぎりと500mmのペットボトルジュース類3本を携えて、奥多摩は川乗山を目指した。


奥多摩からバスで10分ほどでスタート地点に到着したのはまだ9時前。

緑が目に眩しく、風を心地よく感じながら、緩やかな坂を登り始めるが、行けども行けども舗装道路が続く。

数十分歩いたところでようやく狭い山道となり、渓谷の水音を聞きながら木立を歩く。まだまだ余裕。


細い渓谷に沿った道にかかる木の橋をあっちへ渡りこっちへ渡り、上流へ上流へと歩を進める。小さな滝や鳥の声、名も知らぬ植物などを眺め楽しみながらもダクダクと流れる汗をふきふき、とりあえず目指すは百尋の滝。


途中の水場でおいしい山の水をいただいて元気を出し、ひたすら前進する。

山の中には様々な木の匂いや花の匂いが充満している。

コアジサイが群れて咲いているところは甘く濃い香でいっぱいだった。


大きな水音が聞こえはじめたのに気づいて数分、目の前に現れましたる見事な滝。

急な木の階段を何本か下ったところにその百尋の滝はありましたぁ!

40m真っ直ぐに滝壷に落ちる水量は豊富で、近づくとマイナスイオンの風圧に圧倒される。

滝修行にちょうどよさそうな滝だけど、冬は遠慮したい。真夏だったら滝に打たれるのもいいかもしれない。

エネルギーを全身で受けて元気になった気がした。


そこでしばし休憩した後、ひたすら川乗山頂を目指し、黙々と歩くこと2時間、ついてみるとあっけない。

おにぎりをほおばって荷物を軽くし、疲れを癒したのち鳩ノ巣駅を目指して下るのみ。


それにしても、よく汗かいたなぁ。駅で着替える時間がなくてそのまま飛び乗ったもんだから、だんだん臭くなってきて… 混んだ山の手線で回りの人は迷惑だったろうなぁ。


池袋の居酒屋の生ビール、ぐびっと一杯のうまかったことといったら…  このオヤジ化はたまらないねぇ。

こういうときばかりは、女を捨ててもいいと思ってしまう。

あ~あ。まだバネ指も治らないっていうのに、これだもの。

今、カツオとアジが安くて美味しい。

毎日カツオのお刺身でもいいくらい好き。


でも、この前は気分を変えて、カツオのユッケ風にしてみた。

メチャクチャ上手かった。もちろんマグロでもいいし、アジでもOK。いろんな魚でためしてみよう。


<作り方>

しょうが、大葉、みょうが、ネギ、ニンニク少々をみじん切りにしておく。

細かく叩いた魚の身に全部混ぜ込んで(酒も少々)円く整形し、真中を凹ませて卵の黄身を乗っけてコネギを散らす。

食べるときは黄身を崩して混ぜてお醤油でいただく。


もう一つ、アジは千葉の漁師料理の「なめろう」でいただくのがうまい。

上の作り方からニンニクを省いて、味噌を適当に混ぜ込むだけ。

黄身を入れればユッケ風になるし、バリエーションが楽しめる。


おととい、中くらいのお刺身用アジが6匹で500円とお安かったので全部開きにしてもらった。

2匹はフライにした。

身が柔らかくふわふわで美味しい。

パン粉は冷凍庫にあった固くなったフランスパンをおろして自分で作る。

買ったアジフライとは比べ物にならないほどう~まいっ。


残りの4匹はちょいと濃い目の塩水につけておき、昨日干物用のネットに入れて半日干した。

今年は梅雨だというのに晴れの日が多くて助かる。雨が少ないのも困ってしまうが…


昨日は都合よく風も強めに吹いてくれたので、絶好の「干物日和」だった。

夕方取り込んだ干物は色艶もよく完璧な仕上がりで大満足だった。

この前は自分で開いたので、見栄えが今ひとつだった。やっぱりプロに開いてもらうに限る。


今朝、ワクワクしながら焼く前に少し日本酒をふってからグリルへ。

期待したより脂は少なかったけど、塩加減もちょうどよく、味・香りは市販のものの数倍は美味しかった!


そんなに手間もかからず、お天気さえよければ簡単にできる。

干物は手作りに限る!

安くて美味しい「旬」の魚の干物、頻繁に作るぞぉ~。



今年はとりあえず無計画で、和歌山の「減農農薬梅」をいっぱい買ってしまった。

4kgは梅酒に1kgは蜂蜜漬けにした。


昨日また届いちゃった…  あぁ、まだ5kgも頼んだんだっけ…

もう梅酒はいらないし、梅干はおととしのがまだあるし…


ネットで調べて今準備中。


2kg…黒酢梅漬け

2kg…味噌梅漬け

1kg…醤油梅漬け


これでなんとかなりそうだ。


太極拳してるのだぁー、と言いながらあまり太極拳のことを書けない。(ジャンル変えよかな…)

わかっちゃいるけど、私の場合ホントにただ毎回淡々と「動禅」を目指して、緩やかに連綿とした動きを心がけてるだけなのだ。


とりあえず覚えた108式の動きを、その都度一つ一つ細かくチェックしながら、満足のいくものに仕上げていきたい。


話は変わって…

ここのところやたら本を買いまくって、あれこれつまみ食い的に読み進めている。


アダルトチルドレンと家族…斉藤   学

アダルトチャイルド物語…大越  崇

生きて死ぬ智慧…柳澤 桂子

養老(孟司)先生と遊ぶ

「できる人」の極意!…斎藤  孝

 心の扉を開く…アイリーン・キャディ

ターシャ・デューダの言葉  「思うとおりに歩めばいいのよ」

                  〃                    2 「楽しみは創り出せるものよ」

                  〃                    3 「今がいちばんいい時よ」

世界一わかりやすい 株の本…細野真宏(これたけちょっと異色だけど、正直もう少しお金が欲しいので)



「私」は一体何者で、何のために生れて、どう生きるべきなのか…

20年以上前、こんな疑問の答えを求めて、かなり「精神世界系」に偏って本を読み漁った時期があった。

結婚前に私の書棚を見た主人は気持ち悪く思ったらしい。

 

「そんなことは考えず一生懸命生きるしかない!」って言われたこともあった。

「生きているのが辛い」「生きづらい」「どう生きたらいいのかわかんない」っていう思いが理解できなかったらしい。


ずい分長い間生れたことを恨み、親を憎み、生きてることがいやだったり、自分が嫌いだったりした人間と、そうでない人間とは全然違うわけで。

 

どうにかこうにか自分の存在価値を認められるようになり、親や他人を受け入れられようになり、ようやく「生きること」を受け入れられるようになった今は、「より良く生きる」ためのヒントが欲しい。

最近AC(アダルトチャイルド(チルドレン) )関係の本を読み始めた。

だいぶ前に自分もそうだわ、と思ったけどそのときには別に本を読んでみようなんて思わなかった。

というのは、自分なりに解決できていると思い込んでいたからだ。


本当に苦しかった「こども時代」や「20代」に比べたら、徐々に心の修復が進み、癒されてきたと思ってはいるのだが、なんだかまだ違和感(心に負った大きな傷の存在)を感じていたのに…

 

いつもごまかしたり、なだめたりすかしたり、あるいは「ないこと」にして生きてきたんだわぁ。


太極拳を始めてからどんどん「気づき」の量も増えて、「わたしは変われた」とか「うまくいっている」という思いが強くなってはいるのだが、まだ本物じゃない。


相変わらず「生きにくさ」を感じて鬱っぽくなることもあり、心の深いところがしんどい。

そのしんどさを無視したりごまかしたりするのに少し疲れてきたせいか、本を読む気になった。


私の無意識の部分から「根っ子を癒してくれ~」という叫びが聞こえてきたような気がする。

「インナーチャイルド」を癒すっちゅーことなんかしら?

きちんと自分の人生に向き合って、修復されていない「心の穴」を埋めないと、本当に自分らしく前に進めないような気がしている。


私の家庭は父親のアルコール依存 (現在は完治)による「機能不全家庭 」である(未だに)が、主人の家族も全く同じ環境(義父は既に他界)で、遺された家族はその後遺症に悩んでいる(でもそう思ってはいない)。

私は、主人も立派なAC仲間だと確信しているが、当人にその認識はないだろう。

義姉の家庭もアルコール依存からではないが「機能不全家庭」で4人家族全員がACだと思う。

みーんな「共依存」 家庭に住み、その関係から生じる問題で悩んでいるのだ。


アルコール依存の親を持つ子供がアルコール依存になる確立は非常に高い。

機能不全家庭が心を病んだ人間を育ててしまうとするならば、ACがACを産むのならば、この図式に気づいた者から自覚を持ってこの継承を断たなければならない。

幸い(?)なことに、私たち夫婦の間には子供は持てなかったから、その心配はないけれど…

兄弟、姉妹、姪、甥たちのことが気がかりだ。


それにしてもこの時代、「機能不全でない」家庭なんてあるのかしら?


サイトもいっぱいあったのね。

インナーチャイルド・ワークなんてセミナーもあるみたいなので、そのうち行ってみようかなぁ。

傷ついた心を癒せるのは自分自身だけなんだからなぁ。