夕食の支度をして、5時半にチャリで家を出ました。

地下鉄の駅まで5分。そこから練習会場までは一直線で13分。近いです。ありがたーい。


少々緊張しながら会場へ。

ワサワサと仲間たちが集まって、着替えのための小部屋はたちまち一杯に。

勝手がわからず、なんとなく落ち着かず、居場所も定まらず。

とりあえず、着替えをして始まりを待ちました。


今期の新人は30人くらいと思われ、皆さん恐らく私と大差なく、心もとない感じでおられたのではないかと思いますが。どーでしょー。


諸先輩方はさすがに堂々としていらっしゃるようにお見受けしました。


最初はタップ。

タップシューズがない人の方が多く、まぁそれでも何とか基本からスタートです。

教えていただきながら、初めての動きをするというのは、私にとってなんとも心地のよいことです。

嬉し、楽しという感じであっという間にレッスンは終わってしまいました。

もっと動きた~い・°・(ノД`)・°・

早く基本の動きを覚えて、課題をこなせるようになりたいものです。


次は休む間もなく演技のレッスンが始まりました。

自己紹介(これが大の苦手)の後、短い民話をみんなで順番に読んでいきました。

丹田を意識して、喉を開いて、思い切りお腹から声を出してセリフを読むのです。

普段はあまり大きな声を出すことはありませんから、思い切り大きな声が出せて、すっきりと、気分爽快のうちに、あっという間にこれまた終了。

次回は3週間後ですが、それまでに自分のセリフを覚える、という課題が出ました。

まだ先のこと…と思わずに、早めにセリフを覚えるようにしないと、最近、ドンドン物を覚えるという作業に自信がなくなっておりますので(;´▽`A``


今回は初日ですから、こんなもんかな。

汗をかくこともなく、ちょっと物足りないくらいのレッスン初日でした。


来週はゴールデンウイーク中なのでお休み。

再来週はダンスと歌のレッスンです。

これまた非常に楽しみですヾ(@^▽^@)ノ

ものすごい盛りだくさんになっており、使い勝手もわからなくて、

すっかりオタオタしておりますΣ(゚д゚;)


テーマ変えました。


当然中身も変わります。


ちゃんと書くのかい?自分ショック!


11月末にわが家の家族になったオカメインコのオトメが今朝いなくなってしまった。


毎朝、食事が終わってから籠から出してやると、部屋中を飛び回ったりあっちこっちお気に入りの場所でいろんないたずらをしていたオトメが、今この部屋にいない。


今朝、いつものように主人を送り出した後私の肩に乗っかっていたが、布団を上げに寝室に入ったとき、タンスの上に飛び移った。

そしていつものように窓を開けて布団をたたみ始めて少し経ったとき、突然すごい速さでオトメが窓から飛び出してしまった。

肩に乗っけたまま同じことをしたことがあったけど、そんな時には外に飛び出していかないように気をつけていたのに、今日は全然気にせずに大きく窓を開けていた。

まさか逃げていくなんて思いもせず、完全に油断していたのだ。


9階のベランダから勢いよく飛び出したオトメは、何の躊躇もせず、私の呼びかけを無視して、嬉しそうに一声鳴いて、高いところを飛び玄関側に回り込んで見えなくなった。


私は大慌てで玄関から外に飛び出してオトメ~と呼んだら、マンションの棟と棟の間の高いところを旋回して、またベランダ側に飛んでいったので、私もオトメを追って即ベランダ側へ。


どこへいったかと探してみると、すぐに3階高い隣の棟のテッペンに入るのが見つかり、またオト~と呼ぶと、その途端、またさっきと同じ方向へ飛んでしまった。


再びあわてて玄関から飛び出したときに、私が目にしたのは信じられない光景だった。

小さ目の猛禽類に追いかけられ、悲鳴をあげながら必死に逃げているオトメの姿が目の前にあったのだ。

ほんの数秒でオトメの小さな身体はわしづかみにされて、連れ去られた。私は声も出なかった。


向かいの棟に一瞬隠れて見えなくなったが、すぐこちら側に戻ってきたので、私は部屋を通って反対側のベランダからそいつが飛び去る姿をただ呆然と見送りながら絶望感に襲われた。


いつも狭いところに閉じ込められていたオトメは、外に飛び出して初めて自由を感じたのだろう。

でも、その自由はたった数分間に過ぎなかった。


ゴメンねオト…

あなたの自由はこの家の中にしかなかったのに。

わたしは、それを教えてあげることができなかった。

守ってあげることができなかった。


ゴメンねオト…
それしか言えない。


主人が一生懸命作ってくれた木の巣箱で一度も寝ることがなかった。

そのうちここで寝てくれるかな~って楽しみにしてたのに。

ゴメンねおとーちゃん。


今日は出張でいないけど、明日帰ってきたら何ていうだろう。

悲しむだろうなぁ。


2006年も、ハヤ4日目。

今年もどうぞよろしくおねがいします。


年頭に当り今年の抱負など一つ…と思いつつパソコンの前に座ったのだが…

う~ん、去年のショックからまだ立ち直れていない。


すっかり頭を切り換えることが先決。

新しい教室探しから始めましょうか!


今日は旦那の初出勤で、久々に早起きして食事の仕度をして送り出した後、ちょっと一眠りのつもりが今ごろまでウトウトしてしまった。


年末年始の暴飲暴食が身体と頭を鈍らせているみたいだ。体重は案の定右肩上がり。

三が日は、朝ベランダでスワイショウをしたんだけど、これからビデオと一緒に太極拳でもしましょう。

師の元を離れて2週間が経った。

なんだか空しい…。

先日ある団体の表演会を見学させていただいた。

そちらは会員の方もたくさんおられ、二十四式、孫式、陳式、楊式太極拳の他、剣や刀や槍を用いるもの、長拳、形意拳、八卦掌etc…といろいろなことを学べるようだ。


さて、私が一番見てみたかった楊式太極拳はというと、あれぇ~、まったく違うぅぅ。

最初から動きが追えず、面食らってしまった。

単鞭、手揮琵琶、雲手、どれも微妙に違う。

私が3年間やって来た太極拳とここまで違うのかと、いささかショックでさえあった。

あの楊式が日本で行われている普通の楊式なんだろうか?


そう言えば今年7月に見た日本の大会の「規定」っていうのは日本だけのものなのかしら?

あの時は、規程だから違うんだろうと思ったけど、やっぱり根本的に違うんだろうか。


どなたか教えてくださいませ。


楊式太極拳とはいえ、台湾と中国では伝承されているものが全く別物であるということなのか。

台湾は一つの団体しかないと聞いているけれど、中国に伝承されているものはどうなっているのだろう。

現在台湾の長となっている老師と袂を分かって中国に渡った老師もいたそうな。


私なりに楊家老架式を続けてゆきながら、新たにまた違う流派を一から習おうかと考えている。


とりあえず、ご近所でやっているらしい24式の早朝練習に行ってみようか。

でも、朝6時なんてまだ暗いし… 寒い、寒すぎる。

ホントにやってるのかなぁ。

おとといの晩、亭主に向って何気なく「もう何年も虹見てないな~」って言った。


そしたら昨日の朝、ゴミ捨てのために玄関を出て驚いた!


雨上がりでもないのに曇った空の向こうに「虹」が出ているではないかぁ~。


ダメモトで写真をとってみたらしっかり写っていた。


そして今朝、ベランダで煙草を吸いながらはるか彼方の山々を眺めていた主人が「今日も出てるぞ~」と私を呼んだ。


また出た~。オバケじゃないけど。


なんだか神様が、私の呟きを聞いて連日虹を作ってくれたのかしらぁ。

なんて、ちょっとオトメチックな気分になったのでした。チャンチャン!


虹

昨日グランドオープンしたショッピングセンターに行ってみました。

あっちこっち見て回って、最後に「コジマ」に入ってしまったのであります。


いたいた~、おちびちゃんがいっぱい。

羽の生え揃わないヒナって、ちょっと不気味だけど、やっぱりかわいいのです。


小桜文鳥に混じってオカメインコのヒナが5羽。

ノーマルが2羽にホワイトが2羽、羽色のきれいなシナモンが1羽。

以前にいたうちの子のこと思い出しながら眺めていたら、関西弁の店員さんにつかまってしまいました。

生後一ヶ月くらいとのこと。


いろいろお話ししているうちに、な~んだか買う気にさせられてしもた。あちゃ~!

あんた、うちに来る?旦那には事後報告でいいかっ、出会っちゃったんだもんね~。


なんてことで、以前と同じ一番安いノーマル2羽のうち、関西のおにいちゃんお勧めの子を箱に入れて、家へ連れ帰ったのでありました。


ちょうどいいサイズの箱があったので、保温のための電機座ぶとんの上に置き、タオルを敷いてからキッチンペーパーを刻んだものをたくさん入れて透明なアクリルの蓋で半分天上を隠しました。

カゴに移せるようになるまで、しばらくはここが寝室になります。


早速餌を作って、スポイトに入れて口先に持っていくと、ビービーおねだりの声を出します。

大口を開けてくれるので面白いように給餌ができ、この分なら順調に成長してくれそうです。

一日5~6回、あまりソノウがいっぱいにならないように、こまめに給餌したほうがよさそうです。


名前は、おとめです。おかめじゃありません!


なかなかの美人

先週、買い物に立ち寄ったデパートの鮮魚売り場で、丸々太ったサバに目が止まりました。

弾力もあり、青々とした皮はいかにも新鮮そうにぴかぴか光っており美味しそうでしたが、1150円!はちょっと高いなぁ。


近頃魚がやけに高いと思いますが、デパートはそのまた何割増かという値段。

一度は通り過ぎたものの、やっぱりあのサバが気になる。

よしっ!今日はシメサバに挑戦しよう!と決めて、思い切ってカゴに放り込み、シメサバ用に三枚に下ろしてもらって帰りました。


家に帰って塩焼きよりもちょいと大目に塩をふり、ジッパー付のビニールに切り身ふたつを並べ冷蔵庫に入れ、待つこと3時間。この時間が適切かどうかは不明であります。


塩を軽く洗い流してしっかり水気を切り、酢に少々の酒を加え昆布も一緒に入れた中に切り身を投入。

「おいしくなってね~」とお願いしてまた冷蔵庫へ。


3時間後…さぁ、いよいよ!白くなった切り身を取り出して骨を抜き、皮をむく。

尻尾の部分を味見… ううっ、うまいっ! いい感じに漬かってる。うれしぃ~。


端っこは酢がまわり全体に白く漬かってしまいましたが、中の方は脂のにじんだ赤い部分が美味しそうに光っており… もう、こんなのどこにも売ってないわぁ。


大根も美味しくなってきたので、ツマもちゃんと手作りして、大葉も添えて…

せっかく出来たのに、旦那は急に飲み会になったと連絡が。

ガハハ、かわいそうに。


私一人でビールを飲みながら、ニコニコ顔で自家製「〆鯖」半身をペロッといただいたのでした。

残りの半身は翌日、旦那にちょっと大目に食べてもらいました。

美味しい!という評価をもらって、満足。


また、今週も作ります^^;

ものの見方や考え方は人それぞれで、その人の信じているものが現実、真実として認識されるわけだから、どちらがいいとか悪いとかは言えません。


今回の出来事は、あまり細々としたことまでは言いにくく、ストレスの溜まる表現となってしまいました。

そういう考え方もあるけど、こういう考え方もあるよねって、気軽にいえないところで悩んでしまいました。


お互いの見解の相違をことさらにあげつらうと、相手は自分を非難されているという錯覚を起こし、被害者意識に陥ってしまうことがあるようです。


結局お互いを比較するようなことになり、軋轢が生じてそれが敵意に変わり、そうなるともう対立、分裂という図式になっていくことは今までの経験上よーく分かっております。


以前もそんなことで、それまで散々親しくしてきた人から絶縁されたことがありましたっけ。


私の生真面目な性格だと、何とかして相手に理解して欲しくって、自分はどう考えているのか一生懸命説明しようとするわけで、決して非難したりするつもりはないのだけれど、相手によってはひたすら頑なになってしまうってこともあるのですね。


もちろん、理解してくれて納得してくれる人もたくさんいるはずですが、相手の性格とか上下関係とかを見極められないとだめなんだなぁと思います。


人との距離感の取り方がメチャクチャ下手で、サラーッとやり過ごすことができないんです。

あっ、ヤバイ!っていうときに、サッと身を翻す技をそろそろ見につけたいと思います。


寛大、寛容を相手に要求するのは無理ってもんですね。

だから、自分が寛大、寛容になって、静かにフェードアウトしていくのが一番だと、先日友人と話しをしながら出した結論なのでした。

前回私が書いた記事に対してコメントをいただいた皆様に、改めて感謝したいと思います。

ありがとうございました!

同じ教室に通う友人ともいろいろ話しをしてみて、今後、太極拳に対する私の取り組み方、方向性がはっきりしました。


ある出来事があって、特定の流派の太極拳をしているというタイトルをやめて、単に「太極拳」をしていますというタイトルに変えました。



目的を同じくする人間が集団となったとき、序列ができるのは必然かもしれません。

経験を積み、他よりも秀で、人々から認められた者が頂点に立ち、伝承するための組織をまとめるためには欠かせない存在といえるのでしょうか。

その歴史と規模が大きければ大きいほどその頂点の権力は大きくなるのでしょうか?


その頂点を下から眺めたとき、尊敬、畏敬、憧憬…あとは何かなぁ… まぁ、そういった感情を抱くものだとは思いますが、それを超越してしまうと…


☆老師は神様みたいな人だから、畏れ入ってみんなが崇めているのだ。

☆なかなかお目通りも叶わない方なのだ。

☆特別にお会いできるなんて、まったくもってありがたく畏れ多いこと。

☆その老師に認めていただくなんて、光栄の極みである。


これっていったい…

何か違うんじゃないかなと、私はいや~な気分になったのです。

まるで、宗教団体の教祖様扱いなのです。

そして恐らく、当のご本人はそのことに気づいてさえいないのです。

頂点の老師をまるで教祖様のように崇めるなんてことは私にはできません。

優さんもおっしゃるとおり、

大切なのは太極拳の核心である教えそのもの「原理原則」であるはずです。


その大切な原理原則の伝承者である老師に感謝をし、敬意を表することと、伝承者そのものを畏れ崇めることとはまったく別だと思います。


確かに太極拳に出会ったことによって、丈夫になったとか、精神的に強くなったとか、その効用は計り知れませんが、あまりに思い入れが強すぎで、「これこそが絶対である!」などという思い込みをしてしまう「落とし穴」を見てしまった気がします。


これこそが最高。他のことはまったく見たくもない。そんな「盲信」状態にあるとき、他は受け入れられません。他と差別化することによって、自分の信じるものがより高められるのでしょう。


大切なものを取り違える恐ろしさ、愚かさを見てしまいました。